日本福音キリスト教会連合 旭川めぐみキリスト教会

 
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教会情報

日本福音キリスト教会連合旭川めぐみキリスト教会

住所

旭川市豊岡2条4丁目2-13

TEL

0166-32-0325

FAX

0166-74-3356

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マップ

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旭川めぐみキリスト教会のホームページにようこそ

私たちの教会は、北海道のほぼ中心、東に大雪山をあおぐ旭川にあります。
夏は気温が30度を越し、冬は逆に氷点下30度近くにまで冷え込む、一年を通して気温差が60度にまで及ぶ土地です。しかし、それだけに四季の差がはっきりとしていて、厳しい自然の中にも美しい瞬間を見つけ出すことができるのです。
私たちも、それぞれの人生の四季において、厳しいからこそ輝ける瞬間を持つことができるのだと思います。
カムイミンタラ(アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」)と称される大雪の山々を造られた創造主である神が、私たち人間にいのちを与え、良きもので育み、守ってくださいます。
その神のことばを共に聞き、共に生かされ、共に分かち合っていきませんか。

よくあるご質問

Q.信者でなくても教会に行っていいですか?

A.はい、信者でない方も歓迎いたします。キリスト教に興味のある方、聖書の話を聞きたい方など、是非お越しください。

Q.教会では何をしているのですか?

A.教会では日曜日に、聖書の語る生ける真の神を礼拝しています。礼拝の内容は、聖書のメッセージを聞くこと、賛美をすること、祈ることなどです。また聖書の学び会や、祈り会なども行なっております。

Q.聖書や讃美歌を持っていないのですが…

A.教会に備え付けの聖書や讃美歌がございます。気兼ねなくお越しください。

Q.献金をしなくてはいけないのでしょうか?

A.献金は神への感謝の応答として行われています。準備しておられない方や、献金の意味がよく分からない場合など、献金されなくてもかまいません。

当教会へ来て頂いた方からのコメントを紹介いたします。

カトリックとプロテスタントの違いも分からず、いつか教会へ行ってみたい、神様にお会いしたいとこどもの頃から思っていました。
 
大学生になり、学食で友人たちと食事をしている時、一人の学生が静かに祈り食事をしている姿が目にとまり、何度となくその姿を見ていて清さを感じ、あの学生の行っている教会なら間違いないのではと思い、友人に話したところ、通っている教会を知っているということでした。それが今の旭川めぐみキリスト教会です。その頃はまだ普通の家に十字架がついているだけの教会で、宣教師の先生が、たどたどしい日本語でメッセージをされ、ほとんど内容が分からず、もう来週から通うのは止そうと思いましたが、宣教師の先生の輝くような笑顔を見て、それが何なのか知りたくなり通い始めました。
 
通い始めて間もなく、天幕伝道があり、そこで初めてイエス様が私の罪の為に身代わりとなって十字架で死んでくださったことを知り、悔い改めへと導かれました。
 
二十代前半で神様を信じ、五十代後半にさしかかり、クリスチャンであっても人間ですから、山あり谷あり色々なことがありました。しかし、どんな時にも神様は共にいてくださり、守り導いて下さり、「恐れるな。わたしはあなたともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」イザヤ41章10節という聖書のみことばのとおり、ただただ神様の憐れみと守りのなか、また教会の兄姉の背後の祈り、クリスチャンである夫の祈りに支えられ、今日まで信仰生活を歩んでくることが出来ました。山あり谷ありの人生でしたが、ふりむくと神様の恵みに満ち満ちた人生でした。
 
これから先、眠りにつくその日まで、神様のみそば近くを歩む者でありたいと願い、祈っています。

幼いころ、子供の足で家から10分もかからずに行ける所に教会がありました。私の家族はクリスチャンではありませんが、偏見を持ったり、制限することなく受け入れ、私を通わせていたようです。遊び感覚だったのかも知れません。出席したらシールを貼り、きれいなカードをもらっていました。
 
小学4年生になったころ、転校生として旭川にやってきました。近所の同級生と親たちのすすめもあって「英語を教えてくれる先生がいる」という教会の日曜学校に通うことになりました。豊岡福音教会です。そこで初めて新約聖書という本を読み、お話を聞くことになり、イエス・キリストと神様、主の祈りを覚えました(でも、意味はよく分かりませんでしたが…)。讃美歌はすうっと入ってきました。時々野外でのお楽しみ会のようなことがあったり高校生のお兄さん、お姉さんたちがギターで英語の歌を歌ってくれたり、初めてのことばかりでしたが、楽しかったです。そのうち旭川で有名となった作家、三浦綾子さんの「塩狩峠」が映画となり、日曜学校の先生が友達と一緒に同伴して見せに行ってくれました。命の大切さや尊さを学んだ時でした。私達のお世話をしてくれた日曜学校の先生の親切さは忘れることができません。
 
中学生になり、教会から離れた生活になりました。クラブ活動や友達とのつながりの中で、別な興味が湧いてきたからです。でも自分の中で聖書が気にかかり、理解を深めるため、ジュニアの通信講座に、無料で受けられるものがあるのを知り、受講しました。プリントのやり取りをし、終了。少し大きめの新約聖書をいただきました。本当のところ理解は浅かったように思いますが、とてもうれしかったです。
 
高校卒業後は小さいころからのあこがれであった、看護師になることを決めました。仕事をしながら看護学校へ通う道を選択しました。試験問題の中に「私の選んだ道」と題した文章を書きなさいというものがありました。しばらく教会を離れていた私でしたが聖句が心に浮かびました。「あなたの隣人を愛しなさい」です。私にも何か役に立つこと、できることが与えられていると感じ、これから起こる試練に立ち向かう力が与えられることを書いたように思います。
 
仕事と学校を両立しながら看護師として働くことになり20代の私は不規則な生活の中で、すっかり罪の中にいました。仕事の重荷がずっしりのしかかってきた20代後半に結婚することとなり、地元で暮らすことになりました。
 
一年後には長女、3年後には次女が生まれ、活気あふれる賑やかな生活になりました。しかし、その頃主人の頸椎に変形が見つかり、しびれや痛みが、腕や手に現れると言われました。2年後、症状が現れ、通院が始まりました。長女3歳、次女1歳、やっと離乳食が安定してきたころでした。通院には1、2時間かかり、私が運転手役でした。また、手術が必要と言われたころは、旭川まで3、4時間かけて往復しました。検査入院、また検査と行ったり来たり。子供たちを実家に預け、送り迎えする日々でした。
長女が小学生になり、次女は幼稚園。父親の参加できる場面が少なくなりました。長女のクラスは、イジメや学級崩壊があり、不登校になった子供もいました。やっと中学生になったと思ったころ、長女は喘息のため保健室登校をするようになり、やがて自宅から出られなくなりました。子供と主人の入院と通院のため、私自身も疲れていきました。
 
引っ越しをして、生活を変えたいと思うようになりました。長女が中学2年生、次女が小学6年生の時でした。私は生活が整ったら教会に行きたい、神の前に立ち返りたいと思うようになりました。このころ、長女が絵画教室に通い始めたのですが、そこの先生がクリスチャンでした。生徒の中には数人のクリスチャンの方がいて、伝道集会や教会に招いて下さいました。そしてその教会は、私が小学生のころ通った豊岡福音教会。現在の旭川めぐみキリスト教会だったのです。神様は、様々なところを通して私を教会へ連れ戻して下さいました。また、教会の子供キャンプに参加した時、かつて日曜学校で私の担任をしてくれた先生がいましいた。神様がおられることと、神様のご計画を感じました。私は全てを神様に委ねようと決心しました。
イエス様は「すべて疲れた人は、わたしのところへ来なさい。わたしが休ませてあげよう」と言ってくれています。私の心に平安が届きました。私の罪のため十字架につけられ、三日目によみがえられたイエス様を信じます。この方は、今も私の人生に関わってくれています。

私が高校2年生だった時の夏、父が近くの教会で、タダで見られる映画が上映されるそうだと話していました。当時はまだ映画というものは今の様にビデオやネットで安価又は無料で見られるものではなく、高価で人を引きつけるものでした。タダという誘惑の言葉に影響された私は、一人で行くのも気が引けたので近くの友人を誘い、自転車で二人で見に行きました。最初に見た映画はムーディーの映画で、国や民族などあらゆる人々の営みは成長し、やがて衰退していく、永遠のものは人の創り出したものの中にはないという内容だったかと記憶していますが、当時の私の興味を強く引きました。
その後で説教をした五所川原福音キリスト教会から伝道で来られた小山牧師の話し方もとても面白く、結局4日間の天幕伝道の期間全て出席し、映画も4本全て見、人生で初めて聖書の救いの言葉に触れたのでした。当時はまだ珍しかった「外人さん」(グリフィス先生)から声をかけられ会話をしましたが、彼の話す日本語が独特な話し方で、私がそのしゃべり方に不慣れなせいもあり半分程しか分かりませんでした。しかしそのテントの中で起きた4日間の全てのことは私の人生をとらえ、求めていたのはこれだったと気づかせるものでした。最後の日の説教の後で十字架の救いを信じたい人は手を挙げて教えて下さいとの言葉に少し戸惑いながらも手を挙げて、信仰生活をスタート致しました。
 
信じたとは言え、十分な聖書の知識もなく、罪の贖い等もよく理解せずに進み始めました。当時の私は強く何かを求めていた頃で、その時に別な「何か」と出会ってそれにのめり込む事があったかも知れませんが、「そこにおられる主」が私を捉えたことを私は認めざるを得ません。今に至るまでの道を振り返ると私は生ける主に守られたのだと告白致します。

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